🐼幼少期~中学生

勉強は嫌い。でも、本や歴史が大好きだった
私は父の仕事の都合で引っ越した、東京で育ちました。
同じマンションに住む子たちと一緒に、小学校受験へ。
たまたまクジ運がよく、国立小学校に入学しました。
専業主婦だった母は、特に勉強に厳しく、
「勉強はやらされるもの」 になってしまいました。
今なら、学ぶことは楽しいと思えるのに、もったいなかったな…と思います。
そんな私が夢中になっていたのは、本を読んだり歴史を調べたりすること。
「偉人の伝記シリーズ」や「日本の歴史」の漫画を読み漁り、
江戸東京博物館に1日いても飽きないほどのオタク気質でした。
中学生になると、すっかり歴女になり、小説や漫画を読み漁ったり、
オタク仲間とイラストを描いたり。
当時の夢は「漫画家」「司書」「大学で日本の歴史を研究すること」でした。
🐼学生時代

初めて見た「日本の外の世界」
「日本で生きていく」と思っていた私の人生が大きく変わったのは、高校生のとき。
初めて好きになった人が中国からの留学生で、別れ際にこう言われました。
「日本以外の大きな世界を見たほうがいい」
その言葉が私の価値観を一変させ、大学を急遽、中国語学科志望へ。
親の期待を裏切り、偏差値で選ばず「確実に入れる」という理由で大学を選びました。
面談のとき担任の先生が、納得できない母に言ってくれたそうです。
「ふみよさんは、自分で考えて進路を決められる人ですよ」
その先生は若くして亡くなってしまいましたが、今でも感謝しています。
🐼 仕事で挫折

夢を叶えたのに、うつ状態に…
大学では「日本で学んでも外国語は使えない」と思い、すぐに北京へ留学。
帰国後は現代中国経済にハマり、卒論を書くほど夢中になりました。
「中国語を活かした仕事がしたい!」という思いで就活をし、日本の大手メーカーに入社。
貿易事務として働き、「夢が叶った!」と思いました。
しかし…その会社でずっと働きたいか?と考えたとき、
答えは 「NO」でした。
ストレスで食事も取れなくなり、うつ状態に。
深夜2時、ベランダでぼーっと空を見つめる日々…。
そんな中、唯一の息抜きだったのは、アマチュア劇団で舞台に立つこと。
しかし、「日本にいたらダメになる」と思った上司の意向で、
香港への長期出張が決まりかけました。
私は、「趣味と仕事、どっちを取るか?」で悩み、仕事を辞めるという決断をしました。
🐼 好きなことを仕事にする

プロを目指した日々
24歳、夢を叶えたはずなのに、絶望。
約1年迷い 「プロを目指すなら最後のチャンスだ」と劇団の養成所を受験し、合格。
派遣社員として働きながら、夜間のクラスで学び、劇団員として活動開始。
地方公演やアルバイトと稽古の掛け持ちでハードワークな毎日でしたが、
「好きなことを仕事にしている!」 という充実感がありました。
しかし、現実は厳しく、芝居だけでは生活できず、
将来への不安が拭えないまま過ごしていました。
🐼 コロナ禍で妊娠・出産:人生の転機
2020年、コロナで仕事が完全ストップ
夫と6畳の部屋でいろいろ話し合い、「家族を優先しよう」 と決意。
妊娠を機にHP作成や簿記の勉強を始めたものの、入院&骨折で挫折。
そのまま怒涛の子育て生活へ突入しました。
🐼 フリーランスを始める

在宅ワークのスタート
幸い妊娠中に、退職したアルバイト先から業務委託の仕事をもらえました。
さらに知人からブログ代行の仕事も入り、「在宅ワークフリーランス」 の道がスタート。
最初は月1万円程度の収入でしたが、
「家で収入を得られる」ことの安心感は大きかったです。
🐼 フリーランスの限界

働きすぎても稼げない現実
低単価案件が多く、収入を増やすには作業時間を増やすしかない…。
最大月16万円、子どもの体調不良で1週間休むと月10万円に減り、
心身ともに疲弊しました。
「フルタイムパートの方がよほど稼げる…」 そう思うほどでした。
🐼 新しいチャレンジ

リスキリングで人生逆転!
フリーランス3年目、限界を感じた私は、
リスキリングスクールの「5日間チャレンジ」 に参加。
時間がないことを理由に後回しにしていた学びに向き合い、
「私でもできるかも?」 と思えたことで、入会を決意しました。
抱えていたクライアントワークを効率化し、
同時に昇給も重なり、自然と月収がアップ!
3か月後には月収20万円を突破し、
さらに30万円を目指してスキルと経験を積み重ねています!
🐼 さいごに
「夢を叶えても稼げなかった」
「在宅ワークを実現しても、低単価では厳しかった」
でも、「スキルを磨けば、理想の未来と収入は手に入る!」そう実感しています。
「キャリアゼロのフリーランスだった私が、
在宅ワークで収入を伸ばしていくまでのリアルなストーリー」をお届けします!✨